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山形のうまいもの

主食用米

全国を驚かせた極上食味「つや姫」
誕生以来連続「特A」獲得

コシヒカリを超える総合評価で
2010年デビュー

 山形県は四季の変化が鮮やかで、山間部の冬の豪雪はそのまま山に貯えられ、やがて豊かな湧き水となって水田を潤す。夏は過去に国内での最高気温を記録するほど高温となる。肥沃な土壌に加え、年間・昼夜の温度差が大きく、稲作には最適な条件を備えた適地として広く知られてきた。
 そして近年、山形米の名声を一気に高めたのが、2010年秋にデビューした県産ブランド米「つや姫」。誰もが認める「美味しい米」と、反響を呼んだのだ。
 まだ世に出る前の2007年、(財)日本穀物検定協会が、つや姫(当時は山形97号)の食味官能試験を実施。外観や味などについて「艶がある・粒がそろっている・白い・甘みがある・うまみがある・口あたりがよい・粒がしっかりしている」などのコメントを出す。その試験は、「コシヒカリ」と比較する形で行われ、総合評価でつや姫が上位にランク。また県農業総合研究センターによる食味官能試験でもコシヒカリや他の米を上回る結果を打ち出したのである。
 つや姫誕生に至るまでには、長い米づくりの歴史があった。山形県の稲作は明治10年代から近代化が始まり、昭和初期には栽培技術も向上し、10a当たりの収量が、全国平均を大きく上回るようになる。県農業試験場の設立もあって、官民一体の取組みが早くから機能していた。

山形が産んだ名品種「亀の尾」の
うまさを継ぐ

 1893年、庄内町(旧余目町)の阿部亀治氏が育成した米の新品種「亀の尾」が発表され、安定多収・良質良食味とあって全国に普及。大正期には「神力」「愛国」とともに日本三代品種に数えられた。特に食味の評価が高く、後に多くの品種改良の交配親となる。現在人気のコシヒカリも亀の尾がルーツだ。
 山形県では1992年、亀の尾をルーツとする「はえぬき」をデビューさせたところ、またたく間に主力品種となった。しかし次第にコシヒカリが全国を席巻するようになると、県内生産者からは、「もっと美味しい米、味も品質もコシヒカリを超える米を作ってほしい」との声があがってきた。
 そこで県では1998年、農業試験場庄内支場(現農業総合研究センター水田農業試験場)において新品種つや姫の開発に着手する。ともにコシヒカリ系の、父「東北164号」と母「山形70号」を交配して育成。開発を急ぐために、世代促進ハウスを暖房し、冬期間も栽培を続けたという。また、ほ場での栽培では、稲を一株ずつ植え毎日細かくチェックし、病気に強いもの、収量が多く獲れそうな株の選抜を繰り返した。そして育成世代の早い段階から、実際にご飯を炊いて食べ比べ、食味の良さを追求。こうして、10万分の1の確率で選抜されたつや姫が、あの亀の尾の良食味性を受け継いで誕生した。
 栽培特性は草丈が短いため倒伏に強く、登熟も良い晩生種。特筆すべきは、やはり食味の良さだ。「粒の大きさ」、「白い輝き」、「旨さ」、「香り」、「粘り」等は先述の通り。日本穀物検定協会の2017年産米の食味ランキングも最上級の特A評価となり、デビュー年から連続で獲得している。

田んぼの風景

昔ながらの情緒が残る田んぼの風景。一本一本の苗に豊作の願いを込めて。夕暮れにもなると、あたり一面カエルの大合唱に包まれる。

美しく輝く稲穂のすがた

「実るほど、こうべを垂れる稲穂かな…。」秋空に、美しく輝く稲穂のすがた。今年もおいしいお米が誕生する。

ロングセラー「はえぬき」
期待の新品種「雪若丸」

 もちろん、平成をリードしてきたはえぬきも、まだまだ現役だ。つや姫同様、県の庄内支場が「庄内29号」と「あきたこまち」を交配して研究・育成。当時の最高の食味、倒伏や病気に負けない安定的な収量性、絶対的な品質の高さを持つ『ユメのコメ』として誕生した。
 食味は米粒の張りがしっかりしていて粘りもあり、歯ごたえが良い。噛むほどに旨み・甘みが口の中に広がり、冷めても美味しさが変わらない。はえぬきは現在も県全体の作付面積の6割強を占めており、業務用としても人気が高い。
 そしてもう一つ、2018年秋デビューの県オリジナル新品種「雪若丸」にも注目したい。「山形80号」と「山形90号」を交配して育成。倒伏に強いうえ、高温やいもち病にも強く、栽培しやすい特性を持つ。
 しっかりとした粒感と適度な粘りが両立した新食感で、あっさりと上品な味わい。炊いた時の白さや光沢も美しく、つや姫の凜々しい弟分として、期待を一身に集めている。

米

稲

雪若丸

庄内米の栄華の歴史を
今に伝える山居倉庫

 さて、山形米の一大産地といえば庄内平野だ。古い記録では平安後期、最上川を往来する稲舟のことが歌に詠まれ、豊臣時代には、庄内米が御用米に選ばれたとある。この後も荘内藩は産米増殖を進めて献上米を貯蔵し、最上川を利用する奥羽諸藩の献上米も集積したことから、庄内には多くの米倉が建ち並んだ。廻米航路が開かれた酒田港は米取引の中心地となり、その繁栄ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」にも描写されている。
 1672年の江戸大飢饉の際、幕府は河村瑞賢に命じて西廻り航路を開拓。庄内米を千石船(千石=150t)で運び、危機を脱したという史実も有名だ。
 酒田市の「山居倉庫」は1893年、酒田米穀取引所の付属倉庫として建てられた。当時から太陽熱を防ぐ二重屋根や、強風や西日の日ざしから守るケヤキ並木を配するなど、米を最良の状態で保存する独創的な工夫には驚かされる。
 山居倉庫は現在も現役の倉庫として活躍しており、一部は「庄内米歴史資料館」や「酒田市観光物産館夢の倶楽」として開放されている。

 

岡田東作氏

1893年、酒田米穀取引所の付属倉庫として建てられた「山居倉庫」。現在も立派に活躍する。美しく整然とした景観は酒田市のシンボル。

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